皆様こんにちは。副会長兼、教育指導部長の弓田です。
今日は会での事を抜きにして(笑)、私の家族をご紹介したいと思います。
我が家には3人の息子と妻がおり、日々仲良く過ごしております。
毎年、年賀状を作成する折には、全員の写真を含めて送っています。もう20年以上、このパターンなので、止めるに止められない展開となりました。受け取る側も楽しみにしてくれているようで、これが無くなった時には、変な危機感を感じられるのかもしれません(汗)
ちなみに、その一例です・・・
2~3年前の年賀状を作った時に、家族の紹介として女房の写真に「鬼嫁・・・」と挿入しました。私としては冗談で書いたまでだったのですが、女房の親にこっぴどく叱られました。ジョークが通じなかったので、その後、残念ですが気を付ける事にしました(笑)
~ では、長男の義也から ~
我が家の第一子として産まれ、この春、20歳を迎えました。
学生時代はサッカー部に所属し、現在は音楽関係の道に進んでおります。
私がBOOWYファンだった為、その影響を強く受けてしまったかの如く、今でも氷室京介や福山雅治など、多くのコンサートに出かけたり、夢は大きな舞台のコンサートを手掛ける一員になりたいようです。そんな息子と先日、理容文化の撮影がありモデルに起用しました。7月号の理容文化に掲載されますので、よかったらご覧ください。。。
~ 次に、次男の晟也です ~
現在、高校2年生で、埼玉ではサッカーで全国的に有名な○○高校へ通っております。
幼少から野球をしており、親としては名門公立校の野球部へ進学させたかったのですが、土壇場になってこの高校へ行きたいと相談があり、現在に至っています。
もうすでにこの春の選抜では、中学時代に一緒だった浦和シニアでのチームメイトも甲子園に出場している中、彼はレギュラー争いに苦戦しているようで、親としては、(ざま~みろ!)と、熱い視線を送っています。
私共夫婦も現在は副会長をしておりますが、来年は野球部父母会長として、協力させられるハメに陥っております(汗)
~ 三男の就也です ~
末っ子として産まれた就也ですが、産声を上げた時から強烈な出来事があったので、今でも可愛い存在です。そんな彼もこの春から中学生になりました。
次男に続き、兄と同じシニアに所属し、本格的に野球の楽しさと苦しみを味わっていく事でしょう。
日頃から非常にひょうきんな面があり、たぶん今でも、「ボールを打ったら三塁に走っても良いんだよ!」と言えば、「えっ!そうなの!」と言って、本当に三塁方向へ走って行くでしょう(笑)
こんなエピソードがあります・・・
小学校の陸上競技大会でハードル競技に出場していたのですが、帰って来たら、「あ~、1個失敗しちゃったよ!」と私に言うのです。
私は「ま~1つ位、飛べなかったのはよくある事だよ…」と言うと、「違うよ!1っ個、倒れなかったんだよ!」と言うのです。
それを聞いて(まさか!こいつ本当にやりやがったのか!)と私は思わされました。
・・・と言うのも事前に、「なあ就也、ハードル競技に出るんだったら、まともにやってもつまんないよな~。飛ぶんじゃなくて、並べてあるハードルを全部、ぶっ倒しちゃえよ!」と、そんな冗談を言ったつもりが、本当に全部のハードルを蹴り倒しながら走ってきたという事でした!ある意味それは、(よくやった…涙)と感心してしまいました。。。
~ 女房の里恵です ~
妻は同じ理容師で、仕事に家庭に対外活動にと、非常に頑張っています。
皆さんも女房の事は、世の誰よりも愛されている事と思いますが、ここで多くを語る事は、やめておきましょう(笑)・・・
ただ、そんな中でも仮面夫婦にならないよう、隠し事をしない何でも話し合えるオープンな仲を、ずっと守って行きたいと思っています。。。
(私をよくご存じの方は、くれぐれも秘密厳守を願います・・・笑)
← ←写真を合成していたら、こんな風になりました・・・
~ 私、おやじ審判です ~
息子たちがシニアに所属した事をきっかけに、硬式野球の審判をしています。
と言っても毎週通うことは出来ませんから、年に数回程度の活動です。
私も学生時代は野球部だったのですが、レベルが違いすぎますね。体格もプレーも中学生とは思えない位の全国クラスのチームですから、審判もお遊びではないんです。主に球審ばかりやっていますが、理容の教えに匹敵するくらい厳しいです。そういう熱い部分が自分にハマっているのだと思います。
~ 最後に私の両親です ~
私の両親は静岡にいます。皆様も良くご存じだと思いますが、父は古くから日技会にお世話になっております。
若い方々にも恐れる事無く、技術の追求に熱い精神を注ぐ、積極的な意欲の持ち主です。
まだ私が学生だった頃、櫛の矯正として出講しており、自宅にもフジテレビが取材に来る程、櫛を作る事に関しては非常に熱い親父です。また、鋏の研ぎなど、いわゆる器具に関する分野では、私も習いたいくらいの知識を持っています。
「職人だな~」と、つくづく感じます。。。
おふくろは美容師をしておりましたが、今思えばそれも、もっと美容の技を教わっておけば良かったな~と思わされます。私が幼い頃から、私をかばう様に厳しい親父のしつけを一身に受け止め、常に温かく見守ってくれて本当にやさしい母親です。
おふくろが作る手料理って何なんでしょうね?
ずっと食べていなくても、あの味覚って(あ~おふくろの味だ~)って、皆さんも思ったりしませんか?。。。
そんな両親も七十歳をとうに越え、いつまでも元気でいてほしいと願うばかりなのですが、病と言うものはいつ襲ってくるかわかりません。
両親にはただただ、長く生きていてほしいだけです。詳しくは書けませんが、親父を知っている皆さん、もしかしたらもう、皆さんの前に元気な姿を見せる事が出来ないかもしれませんので、この場を借りてご報告させて頂きます。。。
以上を持ちまして、私の家族の紹介とさせて頂きますが、
“この世で一番大切な物は何なのか”と言う事を教えられ、それに気づき、その答えは「家族である」と、身を持って経験させていただきました。
これからも家族を愛し、がんばります。。。
ありがとうございました。
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