NRG 日本理容技学建設会
 
 
                  021 平成25年11月10日掲載
    

    40過ぎてからはじめました

                      山梨本部 塩津 雅司  
                      p_blue-black14@chu-bu.me

 上田博さんからご紹介いただきました、山梨本部、会員番号48番、塩津雅司です。
何を書こうか考えましたが、僕には皆さんに楽しんで頂ける様な面白い話も特に無いので
初恋の話をします。
(´・ω・`)

よだれと鼻水でカピカピの小学校低学年の頃からひそかに想いを寄せていたのは、
誰からも好かれる明るい性格と、大きな瞳が印象的なY子さん。

途中、K美さんにC子さん、S恵さんにYさん、Mさん、T美さん、R子さんetc…と、多少よそ見はしましたが、心の中には常にY子さんの存在がありました。

気持ちを伝えられぬまま中学に進学、
1年半ほど過ぎた2年の秋、2人の間に転機が訪れました。
担任の指名でY子さんと僕がクラスの環境美化委員に任命されたのです。
2人で過ごす時間が劇的に増えたこの頃の僕の体は、床から10㌢ほど浮いていました。
・・・
15㌢あったかもしれません。

空中浮遊してる僕のもとに、
ある日、スヌーピーの封筒を持った彼女の友人が数人でやって来ました。
「これ、Y子から」
差し出された手紙を手にした僕の体は、意識とともに一気に大気圏外にまで上昇、
文字通り、天にも昇る心地に。
しかし、あまりの高度で脳が酸欠状態に陥ってしまった僕はこともあろうか、ぶっきらぼうにその手紙を突っ返してしまったのです。

「ひっど~い!」
蔑みの眼差しを僕に投げつけ、友人達は去って行きました。
未熟で毛の生えそろっていない小僧 (実際、この時はまだ生えてませんでした) に、女心に応えるなんて芸当などできるハズもなく、接近状態にあった彼女との距離は、美化委員の任期満了もあってこの後、楕円軌道を辿るがごとく急激に離れて行ってしまったのです。

ロクにクチもきくこともなくなった僕らは卒業後、同じ高校に入学、
成長とともに美しく開花した彼女は、ファンクラブができるほどの学園のアイドルに。
はるか上空に浮かぶお月さまを地べたから見つめる小動物と化した僕にとって、Y子さんはすっかり手の届かない存在になってしまいました。

卒業から2年ほど経ったある日、
修行先の静岡から帰省していた僕は、遊びに来た旧友数人と久々に再会、
旧交を温めていた席で友人の一人から、大学に通うY子さんがたまたまその日、自宅に帰って来ていると聞かされたのです。
飲めぬ酒で脳がすっかり麻痺していた僕に変なスイッチが入りました。
興味本位の友人達と、安価で低品質のアルコールに背中を押され告白を決意、
長年にわたる思いの丈を、受話器から彼女にぶつけたのです。

結果は見事なまでの玉砕。
10数年に及ぶ僕の想いは、あっという間に終焉となりました。
時間にしておよそ2分弱、
カップめんより早くケリがつきました。

後日談になりますが、何年か前、立ち寄ったレストランで偶然、彼女を見かけました。
傍らには、ご主人と思しき知的で優しそうな男性と2人の男の子。
彼女はその小さい方の男の子を膝に抱き、やわらかい笑みを湛えていました。

とっさに隠れた観葉植物の葉の隙間から覗き見た彼女は、あの頃と変わらず綺麗で
そして
幸せそうでした。
( ̄ω ̄) チェッ


遅れ馳せながら「近況報告」をします。
人見知りな上に極度のアガリ性で、人前に出ると変な汁を出す男が、
何を思ったのか40過ぎてから舞台演劇を始めました。
すでに8年になりますが、先日も舞台の上で変な汁をいっぱい出して来ました。
 
ビョーキは治らんしカネにはならんし通勤のない自宅業務のはずがガソリン高騰のこの時代に稽古場通いで週に200㌔超だし深夜に山道を飛ばすからタイヤもすぐ減っちゃうし、挙げ句、公演の度に店を閉めなきゃならないしと、もぉ我ながらワケがわかりません。


動画も・・とあったので、反響を期待してFacebookにupしたところ、思いのほか反応の薄かったウチの婆ちゃん猫(21才)のを貼ります。
 

バトンを渡そうとしたら、友達だと思っていたH田君やT村君ら山梨本部の皆さんにあっさり断られ、深く傷つき、路頭に迷っていた僕に優しく声をかけ、行き場を失ったバトンを快く引き受けて下さったのは、たまたま講習会で来県中だった東京本部の中山富雄先生でした。
心優しい中山先生、よろしくお願いします。

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