8月1日、株式会社斉藤会館元事務局長の三原明子さんが、5月に80歳の傘寿を迎え天国へ逝ってしまわれました。 ご存知の方も多いと思いますが、三原さんは昭和37年4月に斉藤会館の会社設立に合わせ入社され、平成15年6月に退職されるまで40年以上、斉藤会館の職員でありながら、日技会に対し好意をもって常に温かく応援してくださいました。それは、日技会のすべての行事にいつも会長や役員たちの裏方となりお手伝い頂いたことでも分かります。 そこで、日技会の先生方全員の耳にタコができるくらい何度となく聞かされた、という日技にまつわるお話をご紹介します。 今から40年ほど前、昭和50年代、会の創立25周年の時、西村幸男先生が会長に就任され、会は今では夢のような会員数が現在の4~5倍もあった良き時代でした。海外研修を実施したり、秋の全国研修会を各本部で開催したり、斉藤先生の胸像を設立したり、全国縦断チャリティーイベントなどなど、ことに会主生誕100年記念に「理容技学全書」を発刊するなど西村会長は精力的に事業を展開されました。その折々に西村先生の片腕となり先生を支えたのが三原明子さんで、そのことを西村先生は「大変助かった」と述べておられました。40年以上も経った今もなお語り継がれていることです。 早15年前、私が会長に就任して、先が見えない不安を抱えながら三原さんにこれからのことをお願いしに伺い、その話をさせて頂きました。そのとき三原さんの人柄にふれ、その姿を見て、思わず涙がこぼれました。私はオーラを感じ、以前から好きでしたがますます好きになりました。 三原さんは根幹として、常に「つくす心」の大切さを私達に語りかけ、自ら実践された生涯で魂が宿っていたんだと今、感じています。 最近、座禅から学んだ己を捨てる「無心」の境地が、「つくす心」に通じる深い意義のある教えである、と改めて思いました。 心が折れそうになったとき、「弘さん、人は道に迷ったとき、損得でなく、正しいか正しくないかをもって進むことよ。」と、三原さんからアドバイス頂いたことが思い出されます。 長年、日技会の良き理解者であり、(株)斉藤会館の経営者のお一人でもあった大切な尊敬する三原さんを失い、寂しく悲しい思いでいっぱいです。 三原明子さんのご冥福をお祈り申し上げます。 合掌 |