NRG 日本理容技学建設会
 

      
福島の現状について

                           福島本部 柳沼公貴
                          kimitaka.y1028@gmail.com
                      

 初めに東日本大震災に際し日技会の皆様には多大なご支援、励ましのお言葉をいただき遅ればせながら深く御礼申し上げます。
 
この度、会員メッセージのオファーをいただき、悩みましたが現在の福島県の現状を私の勝手な主観でつづりたいと思います。私個人の考えですので気分を害する文章があろうかと思いますが何卒ご了承ください。
 福島県は面積が広く、大きく縦に三つに分けられることが多く、沿岸部でこの度の震災で地震・津波・原発事故関連と直接の被害が一番大きかったのが「浜通り地方」、新潟県寄り地震や原発事故関連で直接の被害は少ないものの風評被害により主要産業の観光業にダメージを受けた「会津地方」、福島の真ん中を通り、地震と原発事故による影響が大きかった「中通り地方」に分類され、各地方ごとに異なる問題を抱えていて想像を絶するほど複雑に絡み合った問題が山積しており完全な解決にいたるには難しい状況です。
 私が現在居住し店舗を構えるのは「中通り地方」で福島県のちょうど真ん中ほどにある県内第二の都市の郡山市になります。震災当時ライフラインの切断や家屋の損傷はあったものの直接震災で亡くなった方は1人と比較的人的地震被害が少ないのは不幸中の幸いでした。しかしすぐに原発事故があり原発から80㎞ほど離れていて避難命令は無かったものの北西の風にのった放射性物質が南に南下し郡山にも降り注ぎ見えない脅威との戦いが始まりました。
 震災からおよそ2年半が経過し我々家族は日常の暮らしをほぼ取り戻し生活しています。放射線量は所どころ高い数値を示すものの、目に見えるものではなく周りの住民も徐々に不安を口にすることが減ってきていると感じます。
 しかし各公共施設や学校にはモニタリングポストが設置されたり、市内でも本格的に住宅地の除染作業が行われ、効果に疑問を感じながらも作業を横目にとてつもない不安を感じていた非日常の日々を思い出したりしつつ徐々に鈍感力を身につけ震災前の暮らしとほぼ変わらない生活をしています。
 一方、警戒区域から一部の避難者も郡山に避難しており少なからず話をする機会があるが、当時訳も分からぬまま行方不明の身内も家財一式も着の身着ままで避難して帰れるか帰れないかも示されず2年半避難生活をしながらも、原発の恩恵に与っていたことや賠償金受給の件でバッシングを受けたこともあり、当人たちも気持ちの整理もつかず混乱が続いているのかもしれないが原発に関して避難者と話をすることは今でも難しいと感じています。
 経済面に関しては震災以降福島では「復興バブル」状態にあり第2次産業を中心に国から復興予算が大量に投下され県内外の業者が入り乱れて争奪戦になっています。一見景気がいいように感じますが業者も「復興バブル」状態が長く続くとは考えておらず、日雇いで年配の経験者しか好んで雇用しようとはしないせいか若者の求人数は伸び悩んでいてバブル崩壊後の福島経済がどうなるか危惧されます。
 震災・原発事故当時、3歳と生後5カ月だった息子達も来年には小学校入学、幼稚園入園を控えております。
 人類にはオーバーテクノロジーの感のある原発の推進を止められなかったこと、原発事故があった当時周りの人たちが続々と避難していく中、どうすることもできず自宅に留まったことが将来、子供たちが大人になる頃、どのような影響を及ぼし、どのような未来になっているのか心配でなりません。
 願わくば明るい未来であってほしいと願います。

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