NRG 日本理容技学建設会
 

      
寄 稿


                           東京本部  加藤文保

                           kato@bon-grp.com 
                           http://www.bon-grp.com/

 寄稿

 
この度の西村幸男先生の葬儀並びに告別式へ日技会関係者のお手伝い、多くの皆様のご会葬、誠に有難うございました。
 
西村一門会を代表して御礼を申し上げます。
 この度、西村家より、葬儀委員長のご下命が有り、不肖一番弟子として謹んでお受けさせて頂きました。
 とは云うものの、私が理容を離れたのが1977年、昭和52年ですので早36年を数える事になります。
 
思えば、西村入門が昭和39年(1964年)ですから、丸13年間の理容人生で有りました。
 その後も約3年、総本部講師としてレディースカットの講習会に日技会地方本部へ出講もさせて頂いたのは懐かしい思い出です。
 その後は文字通り、会費会員ではありますが現在も在籍させて頂いております。
 今回御礼を込め、振り返って先生のご遺徳を偲ばせて頂きたく寄稿させて頂きました。
 私は中央高等理容学校10期生、笠原先生のクラスから先生の紹介で西村に入門致しました。
 業界と全くの部外者でしたので、不思議なご縁を頂いた事に成ります。
 当時、鵠沼の斉藤先生の元で書生をしていた中浜さん、静岡から来て頂いていた中島さんが先輩で、右も左も解らぬ私が入門した訳で有ります。
 先生から直接言われる事は有りませんでしたが、中浜さんからは、「お前が直系の一番弟子なのだから、そのつもりで修行しろ」と折に触れ、云われていました。
 仕事を覚えるのは、そこそこ早かったですが、修行はホトホト閉口したのを今でも覚えています。良く叱られました、先生にも、先輩にも。
 5年で卒業。当時の私は一番弟子どころか、「とても先生の真似は出来ない」と思い、新しい生き方を模索していました。
 「自分には人に教える様な立場は向いて居ない」己に厳しい生き方をしている師匠を見ると、とても太刀打ちできない、と思えたものでした。
 改めて、有り難さが身にしみたのは、自分のサロンで本格的に社員を受け入れる様に成った33歳ごろでした。
 営業力一本で行こうと思っていたのですが、実際、人を預かると社会的責任と責務で、西村での教えが走馬灯のように脳裏に去来するようになったのです。
 先生に我社の入社式にお出で頂いたのもその頃でした。これからは西村の教えを体現し社内教育に力を入れる決意でもありました。
 一方、劣等一番弟子の後輩は全国から優秀で将来を担う方々が弟弟子として西村へ入門し、一門会として組織するに至ったのです。
 先生は、葬儀の際の弔辞でも星野前会長、堀校長、福島先生が語られていましたが、自分に厳しく、周りにも妥協しない、正に教育者の鏡のような方で、「とてもこんな真似は出来ない」は修行中の感想、離れてから、偉大さに気付く、そんな弟子でした。
 しかし、後に続く弟弟子に支えられ、葬儀委員長の重責も務めさせていただきました。
 「一番嬉しかったのは、「先生も喜んでくれていると思うよ」と云って頂いた山下先輩、中浜先輩のお言葉でした。
 現在、私は前述したように13年間、理容を続け、美容に転身し、現在エステティック専業の会社を営んでおります。
 「明治時代、横浜にキャンベルが来た際、美顔術を教わったのが大場先生と芝山先生、その大場の直系のフェイシャルを斉藤先生、西村先生から僕は習ったんだ」と云ったら、今の社員たちは、ざわめきながらも、私の姿と美顔術が一致しない様な顔をしていました。
 
社員への教育は技術だけでなく、修行中の先生の教えが人間教育、接客教育の根幹になっている事を思う時、改めて先生への感謝の想いと職種は違えど基本は一つの教えで邁進する事が、見守ってくれる師匠への「はずかしくない人間になる」という教えを守る事だと心に決めています。
 日技会員の皆様の今後のご活躍をお祈りいたします。
 PS
 
ずーとご無沙汰しておりました日技の先輩諸氏ともお会いする事が出来、大変懐かしく我が人生の道を振り返る機会ともなりました。有り難うございました。
 皆様ご自愛くださいませ。

                  平成25年3月3日   埼玉県新座市   加藤文保

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