NRG 日本理容技学建設会
 
   

   斉藤隆一先生との会話の中から

                                    福島 光夫
                     takafuku55@jcom.home.ne.jp
 この正月5日わたしは満85歳の誕生日を迎えました。
 あれは50年余り前のことになるでしょうか、正月のこと、わたしは湘南の地・鵠沼にお住まいだった斉藤隆一先生のお宅へ新年のご挨拶に伺いました。その折りのことです。
 正月でもあったからでしょう、話が暦の話題になりました。「ところであなたは十二支の何に年ですか」と、先生から聞かれました。わたしは「卯年です。うさぎです。」とお答えすると、しばらく先生はわたしを見ておられて・・・「何月生まれですか?」と、そこでわたしは「はい、1月5日でございます。」とお答えすると、先生は「いやあなたは卯年ではありません寅年です。節分前はその前の年に入るから寅年です。そうでしょ十月五日、お母さんのおなかの中に寅年としていたんですから!」わたしはなるほど!と。以来わたしは自分を寅年と決めています。
 この暦のことはその一例ですが、このように何に付けても斉藤先生は理にかなったものの見方考え方をされておられたと思います。
 次のことこれはその折りのことだったかも知れません。奥様がお茶を出して下さって、頂きながらの話の中で先生は、「こうしてお茶を飲みながら、わたしはこの湯飲茶碗のこの形はこれで良いんだろうか、そう考えたりしているんです。」と。
 またこれは別の機会だったかも知れませんが、こんなお話を先生からお聞きしたことがあります。当時はお手洗いに置かれていたのは、今のようなロール式のトイレットペーパーではなく、1枚1枚のちり紙、これが厚く便器の側に置かれてた頃のことです。そのちり紙の置き方について先生は、さて!どう置くか、紙の表を上にするか、紙の裏を上にするか?・・・・・・先生はこのような日常生活の中のささいな、一見どうでもいいような事についてまでも、その中にある理を考え続けておられたのです。
 こうした先生の生活観、人生観の中からこそ、まさに斉藤技学が生まれて来たのだろうとわたしは思います。その原点、ものの見方考え方をこそ、心と頭脳に留め、日技会の皆さんの技学への精進をわたしは切望します。
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